「隈研吾さんに学ぶべきコト」

テヅカイチロウイイタイホウダイ

2019.3.12
「隈研吾さんに学ぶべきコト」

すらりと背の高い人でアル。
知的な女性、仕事をバリバリする人が
好きだそうです。
このあたりがボクとダイブチガウ。
ボクはチビでデブチンである。
女性はマア タイテイの人は好きにナル
次に東大をデテイル
東大閥というものもアルダロウシ
日本のトップにいれば、
キットいつもトップとして生きてゆく
覚悟みないなものがあるような気がスル
ダカラ 何にでも寛容な
あのフンイキは、そのヨユウから
デテイルノデハナイダロウカ
これはボクの想像にスギマセンガ

それにくらべてボクなどは
ナゼか世の中ナナメにミルクセがついていて
アマノジャクナノデ
ソンナコトネーダローみたいにスグなってしまう
そのワリに 理屈ッポイから
キラワレルということになるのかな
特に今回の本で感心したのが
プロジェクトのハジメから
「アアコレハダメダ」と思っても
ジットダマってみている
時間がタツと みんなも気づいて
オチツクトコにオチツク
といっているトコロにナンカとても
ボクはデキナカッタ。
まあボクもモット
オトナシクシテイレバヨカッタノニ
日記であれば山のヨウニカケル

「つくる」という感覚については
とってもナスガママというか
流されるというか
ヨーロッパ近代の
「オレがツクルノダ」という感覚がナイ
たとえば
中国美術学院民芸博物館の
中国瓦職人のヤリトリがオモシロイ

ところでこの前お会いした時
一冊本をいただいた
ナントそれは中国の画家の絵に
隈さんがトナリに毛筆で書をカクトいうものだ
ナカナカ自由な字体でアル
ボクも高校生のトキは
岡本太郎と井上有一にアコガレテ
書家にデモナロウと思っていた
字はウマクカコウと思っても
ウマクハカケナイ
何度も何度もかいて
タマタマソウナッタリスル
人の「つくる」というコトバでは
アラワセナイ

  筆歌墨舞

限りないユキガカリがある
体調、気分、気温、湿度
ドコデカイテイルノカetc.etc.
カリグラフィ 書というのは
近代の「オレがツクル」というのを
実感としてウケイレナイトコニ
古代からアッタ
邱志杰という中国のアーティストが
うまいことをいっている

「書道とは
一瞬で現れては消え、何も残らず、
まるで雪の上の雁の足跡のよう」

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