吉祥寺はコワレはじめた
いや東京がコワレタのかもしれない。
吉祥寺はウマクイッタ「マチヅクリ」だといわれた。
それはバブルの頃
大手デパート絶頂のトキ
5つもデパートができたのだから
日本、トクニ地方では大手スーパー等がデル時は
地モト商店主の反対がおきる
吉祥寺はナカッタ。
大手デパートにカリテイルのが
地域の有力者であり
商店会のジュウチンたちであったからだと思う。
それもフツー駅前に集中するものだが、
吉祥寺では点在している
1番の駅チカはパルコくらい
駅ビルのロンロンなんかはマサニ駅にアル。
このデパート中心主義のムイシキのマーケティングが
デパートバブルとともに吉祥寺にニギワイをモタラシタ。
小さな個人商店主はガンバッタガ
なんでもある大手デパートにはカナワナイ。
ロンロンができてハモニカ横丁の生鮮三品は大打ゲキ。
シャッター商店街になった。
たしかに、ジャズのFUNKY、古本や、ガラン堂、
カンブツ屋などなどはスバラシカッタ。
だからその途中では吉祥寺には文化もふくめ、
なんでもあるといわれた。
しかし、半世紀のスパンでミレバ、
それらもオワリカケテイル。
みんなどうしたんだ。
さて、そこでコロナになった。
吉祥寺で2ついいことがあった。
ひとつは、月窓寺、光専寺、蓮乗寺の
吉祥寺の土地をもっている人たちが、地代を1年間20%下げてくれた。
アリガタイ。
もうひとつは、
ムサシノ市が武蔵野市に出店したらまず30万円、
6ヶ月後にまた30万円。
テナントはウレシイ。「地代のヒキサゲ」についてはナニヨリも
吉祥寺の土地所有者が街にカカワッテキタナア
という感がアル。
ウレシイ
「出店30万+30万」については、ナゼモット30年前にヤレナカッタノカ、
というオモイはアルケレドガンバッテホシイ
具体的なアイデアだけど、
もう吉祥寺のマチの中は
タカクテダメデ ツマラナイとすると
中心から200m位のトコロに出店スルシカナイ。
毛沢東の都市を農村でカコム戦略しかない。
ソシテ マン中をツブスせば吉祥寺は再生スル。