「歴史としての戦後日本(上・下)」
「大東亜戦争肯定論」林 房雄
この2冊ヨンデホシイ。
憲法九条死守。
かつ
核とドローンで武装セヨ。
そして
「日本辺境論」内田樹
の一文
新渡戸によれば、武士道が武士階級から平民たちに流下し、「全人民に対する道徳的標準」となったとき、それは「大和魂」と呼ばれます。
「『大和魂』は遂に島帝国の民族精神を表現するに至った。もし宗教なるものは、マシュー・アーノルドの定義したるごとく『情緒によって感動されたる道徳』に過ぎずとせば、武士道に勝りて宗教の列に加わるべき資格ある倫理体系は稀である。本居宣長が
敷島の大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花
と詠じた時、彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。」
新渡戸は武士道の神髄を「山桜花」の審美的たたずまいに託して擱いてしまいます。それは結局「匂い」なのです。場を領する「空気」なのです。
同じような断念は、例えば徳川家康の殺害を企てた二人の少年の咎に連座した八歳の弟八麿の、切腹の場でのふるまいを叙する章でも示されます。
幼くして切腹の作法を知らない弟が「ついぞ切腹を見たることなければ、兄のなさん様を見て己れもこれに倣わん」と言うと、兄二人は涙ながらに微笑み、「いみじくも申したり、健気の稚児や」とみごとに腹かっさばいて切腹の見本を見せると、弟は「兄のなす様を見、両人の共に息絶ゆるや、静かに肌を脱ぎて、左右より教えられしごく物の見事に腹切り了った。」
この幼子は別に徳川家康に害意があったわけでもありませんし、襲撃に加わってもおりません。けれども、兄弟と同じ運命をたどることを従容として受け容れます。場の親密性を優先するためには、どうして自分が死ななければならないのか、なぜ罪なくしてこのような残虐で不合理な罰を受けなければならないのかについて主題的に問うことをしない。静かに「空気」に従うのです。
この辺境論と同時に
「アメリカと私」江藤淳
をヨムとエトウさんという
日本人はオモシロイヨ。
「君が代」についての豆知識
「君が代」の歌詞は古今和歌集に収録されていた賀歌を原型とするものですが、最初に曲をつけたのはイギリス公使館にいた軍楽隊長のジョン・ウィリアム・フェントンです。それが洋風の音階でなじみが悪かったために、宮内省の雅楽の伶人によって改作され、それをドイツ人フランツ・エッケルトがアレンジした。