2016年 8月

  1. テヅカイチロウイイタイホウダイ

    変われSMAP

    2016.8.19「SMAPと保守」みんなヤメナイデとイウ。モトモトSMAPのミリョクを感じナイボクには問題がオオイダロウ。ソレニシテも若い(40代?)人が独立してソレゾレ自分のヤリタイコトをやる。問題はナイヨネ。そして「ファンに申し訳ないと思ってる」なんてイウ。…

  2. 横丁インタビューズ 有楽町その2

    メゴチの天ぷら、薩摩焼酎‥‥。味があった店主たち手塚:ここはいい場所ですよね。いま、ハモニカ横丁は建築家が3人入って、いろいろやってるんですが、建築家の人たちは不思議に思うらしいんです。「どうしてこんな風にできてるんだろう?」って。それは、作ろうと思って作ったんじゃなくて、「だんだんと出来上…

  3. 横丁インタビューズ 有楽町その1

    きらびやかな銀座と、再開発著しい丸の内の間に存在するのが、にわかには信じ難い空間である。戦争、新幹線、オリンピック、3.11‥‥。カマボコ型のアーチは、100年前と今をつなぐタイムトンネルだ。 「谷ラーメン」谷 吉和さん 都庁「以前」と都庁「以後」谷:ここは住所が丸の内三丁目…

  4. テヅカイチロウイイタイホウダイ

    40年の教訓

    入沢康夫 1975年9月3日「言いかえないこと」そのことが大切なのです。とボクのビデオインタビューで語る菅木志雄は、なにをしているのですかの問いに、「コトバでなくてもできること」とインタビューに答えた。岡本太郎は「新しいことはキモチ悪い」といいレオカステリは「ar…

  5. 横丁インタビューズ 北千住

    大学の相次ぐ移転で、人口が6年で1万人増えた北千住。江戸時代は日光街道の玄関口として、戦後は赤線という色街を抱え、商店街は発展した。居酒屋密集地帯に灯りがともると、この街は本来の顔を取り戻し始める。「杉山工業所」 杉山有信さん 再開発のたび、変わる街のすがた 原:北千住駅の乗…

  6. 横丁インタビューズ 新橋その3

    「再々開発」は果たして可能か?手塚:このビルがもし、また建て替えとなると、どんなふうになるんでしょうか?真部:最初はこの一棟でという話でしたが、土地の制限があり、20階以上を建てるといまの面積は維持できません。広場をつくらなくてはいけないので。そうすると、鉛筆ビルみたいになってしまう。そ…

  7. 横丁インタビューズ 新橋その2

    店舗ひしめく横丁 いかに「ビル化」されたのか手塚:以前、「闇市の帝王」という本に、戦後、上海の歓楽街みたいなものを東京に作ろうとしたという中国人が、ここの地下の中華料理屋さんに食べに来ているという話がありました。いま生きていれば90歳過ぎくらいでしょうけど。真部:ここはいまでも中国人の料…

  8. 横丁インタビューズ 新橋その1

    焼き鳥の煙に燻された赤ちょうちんは、なぜ人を惹きつけるのだろう。千鳥足のサラリーマンは、SLの警笛に背中を押されながら、また、縄のれんをくぐる。原初的な横丁の景色が、このビルの中にいまも広がっている。「酒処 初藤」 真部和昌さん戦後のマーケット、東京都主導で再開発される 真部…

  9. テヅカイチロウイイタイホウダイ

    時代

    「かわる、かわる時代はかわる」勝新が、ザピーナッツが、野坂昭如が大島渚が大橋巨泉が永六輔が阿久悠が去った。そしてハハが、それは「かわる」のではなく「おわる」ということだ。ポパイ40周年、PARCO43年東急ハンズ40年、なにがかわるのか大きくなにかが終…

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