横丁インタビューズ 有楽町その2

メゴチの天ぷら、薩摩焼酎‥‥。味があった店主たち

手塚:ここはいい場所ですよね。いま、ハモニカ横丁は建築家が3人入って、いろいろやってるんですが、建築家の人たちは不思議に思うらしいんです。「どうしてこんな風にできてるんだろう?」って。それは、作ろうと思って作ったんじゃなくて、「だんだんと出来上がってきたもの」だからなんですよね。不満も言わずに工夫して。

谷:よくこれだけもっているなと思います。これだけの造作で、もう48年ですから。カウンターなんかは途中作り変えましたけど、ほぼ50年前のままです。

手塚:都庁がいた時には、お客は都庁の方が多かったんですか?

谷:昭和42年からラーメン屋をやっていますが、昼間やっていた飲食店はうちしかなかったんです。ほかは飲み屋で。だから、ほとんど都庁の職員のための食堂って感じでした。

手塚:御用達ですね。

谷:あとは全部雀荘。昭和40年代のサラリーマンの夜の遊びって、飲むか、マージャンくらいしかなかったですから。その頃、うちはインターホンを4軒ほど引いて、夜は直接マージャン屋から注文をもらってました。アルバイトも2人使って、昼間と同じくらい忙しかったです。商売的にこれだけ繁盛しているならこりゃいいかと、会社を辞めて跡を継ぎました。都庁が移転するなんて話も全くなかったですから。今度移転すると場所は悪くなるんです。いま、この丸三横丁辺りまでが、ビッグカメラの信号から見えます。都庁があったときは、庁舎の間に道路があって行き来ができたので、丸の内の人が都庁の中を自由に往来してきていました。それがいまは国際フォーラムという「万里の長城」ができてしまったので、丸の内の人が来られなくなってしまいました。

手塚:「山楽」というおでん屋に飲みに来たことがあります。

谷:「山楽」さんは先代のガンコ親父がいました。また、この横丁にあった「銀楽」は、焼き鳥と漬物しかないという店で、やっぱり怖い親父さんがいて、みんな怒られに来る(笑)。おばちゃんとふたりで商売をやっていたんですけど、お亡くなりになって。いまも、「銀楽」さんというお店がありますけど、違う方が経営しています。「薩摩屋」とは、鹿児島出身で薩摩焼酎とさつま揚げしか出さないよという店。うちの隣りはメゴチの天ぷらが売りの店で、都庁の水道局の御用達でした。最後、店主のお葬式は、水道局の人が仕切ったんです。昔の店のほうが、いろいろ特色があって、味がありました。

客の変化 変わる横丁

原:最近は外国の方も多いんじゃないでしょうか?券売機も外国語が書いてありました。

谷:シンガポール、台湾、中国の方たち、欧米系の方もいらっしゃいます。一番遠くはスエーデンとデンマークですね。おかげさまでテレビなんかにも取り上げられますが、テレビの影響って2週間なんです。ただテレビ東京の番組って全国ネットじゃなくて、地方局に再販してるらしいんです。だから放映されて何か月も経ったあとで反応が来るんです。「おたくテレビ出てたでしょ?」って。こっちは「あれ?いつのだろう?」って。金沢とか鹿児島とか、台北とかでも放映されていて、出張の方がいらっしゃるんです。ただこの店は、目指して来るってわけじゃなくて、たまたま横丁に入ったらラーメン屋があったからという方が多いですね。

手塚:外国から来たらここはいいと思います。この雰囲気でラーメン食べて。ホテルで食べてもつまらないですもんね。

谷:朝日新聞があったころは夜中の2時ごろ輪転機がガーッと回っていて、職人さんが刷り上がったばかりの、早刷りの夕刊を読んでいる姿なんかが見えました。屋上には伝書バトがいて。いま思えば情緒がありましたね。でもこの店ももう僕の代で終わりです。昔は4人でやっていて、都庁が消えて3人減らしてそれで今です。この横丁も来年過ぎるとガラッと変わっちゃうかもしれません。でも主はずっと変わらずいるんです。猫なんですけど、この横丁に住み着いてて、もう何代目だろう?消えちゃ、また来るんです。

 

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