武蔵野リアル「デトロイトから武蔵野へ」_04

yokocho interviews

 

『デトロイトから武蔵野へ』  白井 × 菅付 × 三浦 × 手塚

 

菅付 デトロイトは行ったことないんですけれど、すごく行きたい街の一つです。ニューヨークで出会った人たちは、デトロイト好きの人がたくさんいました。家賃が安くて大空間があるから、若い人にとって魅力的なんですよね。若い人は駄目になった街を自分たちでもう一回盛り上げるっていうことにロマンを感じていて、そういうことには興味がありますね。でも、あそこまで駄目にならないと、街って盛り上がんないのかなって気がしないでもないです。

白井 アコアキ(Akoaki)という建築とデザインのスタジオのアニャさんが、ヨーロッパからデトロイトに視察で来る人には2種類いると言っていました。一つは、自分たちはEUという規制の中で生きていて、規制がもしなかったとしたらどれだけ自由にできるだろうかという妄想ができる場として来る人。もう一つは、税金払っててよかったなと思う人。自分たちはちゃんと税金払っているから、社会保障が成り立つ場所で生きていけてるよねと、そういうことを確かめる場所になってしまっていると。アコアキのように、どちらの状況も鑑みながら、自分たちのガバナンスをいかにつくり直していくのかをひもとき直していく活動ができる人たちは、本当に少ないと思います。地域の再生かあるいは安い家賃の中で自由に何かするか、そのどちらかによることは簡単かもしれない。じつは「どちらでもない」ことが面白さなのだけれど、それはすごく難しいですよね。期待があるからこそ、デトロイトはやっていける部分もあるし、悩ましいなとは思います。

三浦 いま東京の人口が流出超過になって、郊外が増えています。横浜市の南部なんて「横浜の南北問題」といわれるぐらい衰退していたのに、最近増えているんです。コロナが収束したらまた戻っちゃうかもしれないけど、その辺どうなると思いますか?
菅付 コロナに関しては誰も予測がつかないと思いますが、都市がライジングしていくということに関していうと、いろんな説があります。わりと確かじゃないかと思うのは、リチャード・フロイダが『クリエイティブ・クラス』という著書のなかで語っている「クリエイティブな階層が都市を一番引っ張り、それが経済の中心になる」ということです。フロイダの言っているクリエーティブ・クラスは範囲が広く、クリエイティブなことをやっていたら編集者とか広告マンだけでなく、料理人も美容師もマッサージ師もクリエーティブ・クラスであると。彼のカウントだとアメリカの総労働人口の六十数パーセントはクリエーティブ・クラスになっています。これが経済の中心であり、より中心になっていくだろうと述べています。
僕が好きなフランスのジャック・アタリは、「知識創造階層が常に歴史の中心であり、都市の中心であり、常に歴史を動かしている」と言っています。知識創造階層を多く集めた場所が都市間競争で勝つと。彼は21世紀の前中盤はアメリカ西海岸、広い意味でロサンゼルスとサインフランシスコが世界の中心になっていくだろうと予言しています。そしてたぶんアメリカが国として持たないだろうということも『21世紀の歴史』のなかで述べています。都市間競争が激しくなり、ロサンゼルスやサンフランシスコはより伸びていくんだけれども、それをアメリカっていう国が許容できなくなってくるんじゃないか。アメリカのバイデン支持者とトランプ支持者の対立は、それに近いところがありますよね。トランプ支持者は田舎の人たちで、そういう都市間競争に負けた人たちです。だから、都市に知識創造階層をより多く集めることによって、都市間競争力が上がっていくのはほぼ間違いないんだけども、都市間競争がどんどん上がっていくことで、都市と国家との間にひずみが出てくる。あるいは、都市生活者と非都市生活者の中で、大きなひずみが出てくる。そこは日本も近い未来として、考えなければいけないことだと思います。都市の興隆だけを考えれば、日本はアメリカほどの都市間競争みたいなところに入ってないので、もう少し都市間競争を意識的にやったほうがいいと思います。ただやりすぎると、アメリカの大統領選挙的な問題が起きることも予測できる。それを予測しながら、都市に知的創造的階層を集めながら、トランプ支持者みたいな人をどう増やさないかっていうことを考えなきゃいけない。これがこれからの日本の都市間競争における課題なんじゃないでしょうか。

三浦 そこでいう都市は、東京、大阪っていう単位じゃなくて、例えば吉祥寺とかそういうレベルも入るんですか?

菅付 東京都民ですというアイデンティティーがある人は、割と多いと思うんですよ。でも、「自分は武蔵野市民です」とか、「三鷹市民です」っていうことを、日常的に強く感じている人は、そんなに多くないんじゃないですかね。僕は下北沢というところに長く住んでいて、下北沢は大好きなので、東京の人間か下北沢の人間かと聞かれたら「下北沢住民」というアイデンティティーが高いほうだと思うんです。けど、一方で、「東京に今、生きてる人間」とも思っています。アイデンティティーをはっきりさせるときは、じつは、競争要因がないと駄目なんです。敵とか競争要因がないとアイデンティティーは自覚しないんですよね。自分の敵は誰々とか、逆に自分の仲間は誰々っていうことを意識しないと、自分はどこに属しているっていうことを思わないので。吉祥寺や三鷹や武蔵野の競争相手は誰か、仲間は誰かということを意識しない限りは、そういうアイデンティティーって、あんまり成り立たないんじゃないかと思いますね。

手塚 僕もそれは本当だなとつくづく感じる。さっき、デトロイトの話は、トランプの話ですからね。

菅付 そうです。

手塚 武蔵野、三鷹に暴動ないよね? だからそのレベルの暴力性しかないので、ちょっと寂しいな。寂しくっちゃいけないって思いますけど。ジャック・アタリのクリエイティブな都市には東京は入ってませんよね。

菅付 はい。入ってません。

手塚 この街にクリエイティブで面白い人たちが集まるためにどうお金を使ったらいいかとか、何かをやらないといけないと思っています。
会場 菅付さんに質問ですが、今、GoogleやMicrosoft、テンセントもそうですが、都市を丸ごと買い取って、新しい都市をつくろうとしています。トヨタ社も新しい都市をつくろうとしています。きょうあったお話も行きつく先が多分、都市開発という話になっていくと思うんですが、その動きは今後うまくいくでしょうか。その辺り、どのようにお考えですか。

菅付 絶対にうまくいかないと思います。日本だとテック都市を、トヨタが静岡につくっています。中国は共産党が強く、個人情報とかがないのでいろいろ動いていける。Googleはカナダでほとんど何もない土地を買い取ってつくろうとしたら大反対運動が起きて、結局とんずらしちゃいました。Googleはしつこいので、またやるかもしれないですが。テック都市の計画は世界中に起きていますが、絶対にうまくいかないでしょう。なぜかというとすごく単純な話で、今回のコロナのように未来は絶対に予測できないからです。予測できないということを前提にやらなくちゃいけない。それから人間が「何をもって幸せと思うか」という価値観はどんどん変わります。僕も、30年前に思っていた幸福感といまの幸福感は恐ろしく違います。特に若い子なんかそうですよね。30年前の20代の人たちが夢見ていた幸福感と、今の20代の人たちが夢見ている幸福感、まったく違います。未来は予測できないし、幸福感も激しく変わるのに、街をゼロからつくってすごく幸せで安心な街というのは、できるわけがない。街は、臨機応変にスポンテニアスに無計画なところと、計画性のハーモニーでしかないんですよね。ビッグ・バンド・ジャズみたいなものです。あるプレーヤーはアドリブをやり、あるプレーヤーは譜面どおり弾いていて、全体としては気持ちよく聞けるみたいな。完璧なクラシックの曲を全員で一音も間違えずに演奏することは、すごく訓練されたオーケストラはできるかもしれないけれど、都市部の住民は訓練されたオーケストラプレーヤーじゃないわけですから絶対できない。適当な演奏するやつがいたり、アドリブするやつがいて、譜面どおりやるやつがいても、うまく聞こえるように考えていかなきゃいけない。だからそこでルールとか決まり事とか、都市のコード感、トーン・アンド・マナーみたいなものは、みんなで都市民が合意形成していかなきゃいけないのですが、それは全て計画的にやるっていうことではありません。「こういうことはやってもいいけど、こういうことはやっちゃいけない。でも、この辺は曖昧でいいんじゃない?」みたいな部分がいっぱいあって、都市や街はつくっていかなきゃいけないのです。
20世紀後半の代表的な都市計画の一つはブラジルのブラジリアです。これはオスカー・ニーマイヤというブラジル人の天才建築家が街の全てを設計しました。世界中の建築学部の学生が授業の一環として見に行くような街です。ブラジリアは「都市計画の光と影」とよくいわれています。光だけでいうと、本当に美しい街です。それはニーマイヤーが全てを設計してるから美しいに決まっている。では影は何か。街の発展に失敗しているんです。できたときから人口が減り続けています。というのも、徹底的に自動車優先の街づくりになっているので歩いていてすごく不便なんです。ほとんどの交差点は立体交差で、斜め向こうの目の前100メートルのお店に行くのに、5分ぐらいかかってしまいます。歩く人のことをほとんど考えられてない街なんです。行政のことを中心に考えてつくられたため、民間の商業施設の参入がほぼなく、どんどん衰退した結果、治安がめちゃくちゃ悪く、犯罪率があのブラジルの中でも1位なんですね。夜は泥棒しかいないような街になっている。ブラジリアは象徴的ですが、未来というのは計画できないんです。だから、テック都市も絶対に全てうまくいかないと僕は思っています。

手塚 『MOMENT』のデトロイトの記事をみて、「こういう所から武蔵野を見たらどうか」と思った理由は、ハモニカ横丁で店をやろうと考えた最初のとき、ハモニカ横丁はシャッター通りだったわけです。何にもなくて、ボロボロで。なぜかそのときに、「ここなら自由にできるな」と思ったんです。何でそういうふうに思ったのかよく分からないんですが、デトロイトも同じような感じなのかなと。 本音で言えば、三鷹北口は何にもないんです。今回の企画について三浦さんに話したら、「タイトルは、『何もない街・ミタカ』っていうのは、どう?」って言われまして。それは、いくら何でもひどいなと思いましたけど、本当だからしょうがない。でも今回、白井さんのデトロイトのお話を聞いて、コインランドリーをやるのはいいなと思いました。菅付さんは世界の街や都市を知っているので、「こういう面白いところがあって、こんなことやっていて面白いよ」という話を、どこかでまたしてもらいたいな。いろんなアイデアを教わって、もう一度ハモニカ横丁ミタカ、あるいは三鷹の北口でなにかやれるのか。それとも、三鷹はやっぱり何もなくて駄目で撤退するのか。いいアイデアを教えていただいて、ヒントがあれば頑張りますので、よろしくお願いします。今日はありがとうございました。

(了)

デトロイトから武蔵野へ

PAGE TOP