横丁インタビューズ 北千住

大学の相次ぐ移転で、人口が6年で1万人増えた北千住。江戸時代は日光街道の玄関口として、戦後は赤線という色街を抱え、商店街は発展した。居酒屋密集地帯に灯りがともると、この街は本来の顔を取り戻し始める。

「杉山工業所」 杉山有信さん

 再開発のたび、変わる街のすがた 

原:北千住駅の乗降客数は首都圏で5位、近年では「住みたい街ランキング」の上位になっています。

杉山:物価が安いですから。電機大学、帝京科学大学、芸大(東京芸術大学)。未来大学(東京未来大学)っていうのは、駅一つ離れてます。芸大が来たといっても、生徒は2百人くらいしかいないんですよ。

手塚:この横丁(ときわ通り)は大きいですが、何軒くらいの店があるんですか?

杉山:数えたら200軒ありましたよ。辻まで数えてね。

原:北千住は商店街だけで6つあるそうです。いま現在、このときわ通りに「商店会」はあるんですか?

杉山:ないんです。昔は「一丁目会」「二丁目会」ってあったんですけど。

手塚:どうして無くなったんですか?

杉山:やってた人が死んじゃったりして。

手塚:昔の街の様子はどんな感じだったんですか?

杉山:マルイが来る前は駅前は小さい店がいっぱいありました。この辺りも、前はマーケットで、うちの前も印刷屋さんとか下駄屋さんとか、そういううちばっかりだった。それが地下鉄(千代田線)ができるんで、立ち退いて共同ビルを建てたり、また別の場所に家を建てたり。仮店で飲み屋さんをやったりね。それが昭和45年頃かな。ここらの商店は、駅ビルができてみんなやられちゃった。餅菓子屋さんやお米屋、酒屋なんかはほとんど無くなりました。昔は魚屋は御用聞きに来たんだけど、今はスーパーだよね。うちの親父はマグロが好きだったから、毎日マグロのブツを持ってきてましたよ。

ただここのマルイは余所のマルイと違って、1階の食料品がすごく充実しているんですよね。ここは一日に1億円売るって聞きます。マルイのビル自体は地権者がいてマルイに貸しています。昔はふつうの家がたくさんあって、組合を作ったんですね。家賃も入ってくるけど、固定資産税が大変だって。今度、北千住駅前のスーパー「トポス」のところに32階建てが建ちます。上がマンション。いま、反対している人もいるけど、許可がもう下りてますから。1階から3階まではイオンが入る。昔はダイエーだったんだけど、ぜんぶ売っちゃったんです。

 

千住遊郭から千住柳町へ 色街と戦後の景色

原:戦後「千住柳町」という赤線地帯があったそうですね。

杉山:俺が小学校6年生くらいまでですね。大川町公園というところに、10円で入れるプールがあったんです。プール代の10円がないときは荒川に泳ぎに行くんだけど、その時通るんですよね、あそこを。おふくろなんか「あっちの方に行っちゃダメ!」なんて。あそこだけ通りが広くなってるんです。タイルがモザイクに貼ってある特徴的な建物で、カラフルな扉が並んでいて。今はだいぶ無くなってますが。あそこにいた人たちのうち何軒かは、この通りで商売やっていましたね。江戸時代には今のトポスのあたりに遊郭(千住遊郭)がありました。創立120年以上だった「千住小学校」には、遊女がお金を寄付したという記録が残っていたそうです。「自分たちは学校に行けなくてこういう商売をやっているから」とね。明治4年頃のはなしです。

手塚:戦後、ヤミ市なんかはなかったんですか?

杉山:いっぱいあったんじゃないですかね。ヤミ屋をやってる人が、この辺でも結構いました。有名な「千住の永見(※1)」さんは、この通りで味噌を売ってました。商売替えして飲食店になったんです。

原:この辺りの防災はどうなんでしょう?

杉山:「千住仲町」が都内で一番危ない町になったことがありました。理由は道路が狭くて消防車が入れないから。ただ、このときわ通りは消火栓がたくさんあるんです。というのも建物自体が全部昭和45年、地下鉄開通時に建て替えられたもので、鉄筋コンクリート3階建てです。地下鉄開通に伴って、一度立ち退いて、組合を作って共同ビルを建てたという経緯です。だから屋上で各建物が繋がっていて、防災道路のように、屋上に上がれば逃げられるようになっています。

手塚:代々ずっと工務店をやってらしたんですか?

杉山:うちはお祖父さんの代からやってたんです。「はつり屋」っていって。昔、コンクリートはベニヤ板とベニヤ板を番線で括って、その間に流し込んで作っていました。そうすると、コンクリートは必ず膨らむ。その膨らみを手で削り取るんだけど、その作業が「はつり」です。昔は職人が50人くらいいて。

手塚:工務店って、面白い仕事ですよね。うちは店の内装をよくやるんですけど、ちゃんとした職人さんがいないと、工事って面白くない。現場監督の仕事って采配の枠がすごく広いですよね。

 

失われゆく「安くて旨いもの」

原:仕事場の上に住んでいらっしゃるんですか?

杉山:酔っぱらって3階に上がるのが大変なんですよ。この前テレビの「ナカイの窓」っていう番組になぎら健一さんが出て、中居が「普段、誰と飲んでるんですか?」って聞いたら、なぎらさんが「杉山工務店の杉山さんと飲む」って言って。親戚中から電話かかってくるし、次男が足立区役所に勤めてるんですけど、上司が「お前の親父は酒飲んで倒れたのに、また飲んでていいのか」って(笑)。それで家族会議。日本酒が好きなんだけど、日本酒は相当飲むと次の日3時くらいまで

調子がね。でも日本酒は宵越し、最高じゃない。ちょっとクセのある方が旨いですよね。すっきりしてるやつより。この辺りの店はみんな、俺が倒れたの知ってるから、飲ませてくれない(笑)。だから電車に乗って立石とか町屋とかに行っちゃって。千住の銭湯は3時半からやってるけど、町屋のお風呂屋は12時からやってるんで、よっぽどお酒が抜けない時は行くんです。吉祥寺の、行列のできるメンチカツ屋の並びに麺屋さんがあったでしょ?昔、よく行きました。

手塚:武田製麺ですね。数年前に無くなってしまいました。あのメンチカツ屋は立ち退きの場所なんです。でもあれだけ並んでるわけだし、代替地でやれればいいと思いますね。たしか、この近くに立ち飲みで、和食の旨いところがありますよね。

杉山:「徳多和良」かな。あそこは安くて旨いです。その前に「藤や」って煮込み屋があるんだけど、八丁味噌で、串に刺してあって、それが鍋いっぱいに入っていて。

手塚:最近の北千住の人の流れはどんな感じですか?

杉山:いまは土日がすごいです。特に土曜日。観光地化してるんですよね。みんなネット見てくるから。うちの隣りの焼き鳥屋も、土曜日なんてうちの前までずっと並んでますよ。ただ千住って、これだけ店があっても旨いところが少ないんですよ。前は、「焼き鳥ならここ!」っていう店があったんだけど、無くなっちゃった。「鳥真」っていう焼き鳥屋は自分のところで、鳥を潰していて、ホテルオークラにも納めていたんだよね。去年来れば良かったね。軍鶏だから手羽なんかすごくデカくてね。

手塚:手羽のデカいのって今やらないんですよね。焼くのが大変だから。骨のところが焼けなくて。

杉山:飲みながら仕事やってた奴はみんな死んじゃうね。

手塚:淋しいですよね。死んじゃうんだから。

 

 

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