横丁インタビューズ 新橋その2

店舗ひしめく横丁 いかに「ビル化」されたのか

手塚:以前、「闇市の帝王」という本に、戦後、上海の歓楽街みたいなものを東京に作ろうとしたという中国人が、ここの地下の中華料理屋さんに食べに来ているという話がありました。いま生きていれば90歳過ぎくらいでしょうけど。

真部:ここはいまでも中国人の料理屋さんがありますけど、その当時の流れをくむ人はいません。みな、亡くなるか、何処に行ったか分からない。このビルは区分所有ですから、戸籍を追っていくのですが追っても追っても、途中で分からなくなっちゃうんです。そういう難しい問題を抱えている面もあります。

手塚:ここは昭和46年に再開発されてビルが建ったわけですが、今までいろいろな横丁を見ていますと、再開発ビルの話は大概上手くいかなくて、建たない。ここはうまくいったというか、ビルが建てられた原因は何だったのでしょう?

真部:東京都が主導で建てますとなったとき、200軒以上のテナントなり、地権者に対する補償が問題でした。その補償を誰が出すかというと、東京都が出すんです。

手塚:その間は休業になりますよね。

真部:休業になります。あるいは補償を持って、よそに出て行っちゃう。できたら戻りますと。代表をつくって、都と折衝するわけです。それに時間がかかりました。

原:昭和36年から41年にかけて交渉と立ち退きがあったと記録があります。それでビルが建ったのが昭和46年です。

手塚:10年近くかかっているわけですね。

真部:実際工事にかかれば、3年くらいで出来てしまいます。たた、その前に更地にしなくてはいけません。櫛の歯のように、一人抜け、一人抜けとなり、更地になったのが昭和41~2年くらいでしょうね。

手塚:更地になったときにはお店が出来ないわけですが、その間はどうしていたんですか?

真部:私の場合は他にも、有楽町と八重洲にお店がありましたから、そちらに従業員を回しました。個人の店の方は、補償をもらって他所に移るか、ビルができるまで何とか過ごしたんだと思いますけど。うちの親父は協同組合の理事長をやっていまして、いわゆる「店子」のほうの代表者として、あとは地権者の方、大家の方たちと一緒に、補償をどう取るかと折衝しました。東京都が相手ですから、東京都に対してどう多くもらうか、そしてもらった分を、大家さんと地主さんと店子がどう分けていくか。これが大きな問題でした。いまと違って、昔は大家さんと地主さんと店子の権利割合というのがものすごく違いました。7:3くらいですかね。

手塚:大家さんが7、いまは逆転していますね。

真部:そうです。当時は大家さんの権利の方が強かった、しかし皆さんそれまで苦労して商売して、次にビルが3年後に出来るとしても大変だから、その補償の権利割合を、もう少し店子に有利なような分配方法を考えてくれと東京都に言いましたが、「いやそれはあなた方のほうでやりなさい」と。ものすごく時間がかかりました。

このビルが建って40年経ちます。普通、ビルの耐用年数は税法上60年です。しかし60年も経ったらボロボロで、40年が限界なんです。それでこのビルを再び開発しようという話が出たんですが、「再々開発」というのは、法律上まだないんです。「再開発」なら行政のほうで補助金がでる。ただ、再開発した土地を、「もう一回開発する」ので補助金を出すというのは通らないんです。

 

「建った」ゆえの光と影

手塚:ビルが建って、以前との変わりようは相当だったと思います。

真部:人の流れが全然違います。それまでは平面でしたが、上下になりますから。いくら駅前でも2階3階へ行くにはエスカレーターか階段を使わなくてはいけない。このビルも当初はとても人気があったんです。最初の10年くらいは売り上げもとても良かった。しかし、10年の間にまわりも変わってきましたから。

手塚:このSL広場は必ずサラリーマンのインタビューで出ます。

真部:渋谷、銀座通り、ここは必ず出ます。たいてい夕方から夜にかけてはテレビが来ています。いまこのガード下は全部耐震補強で、浜松町から神田、上野と、レンガ作りのところは全部やっています。大正時代に出来たものですから。いまガード下に入っているところは、とても安いお金で入っているんです。国鉄からJRになって、多少は高くなりましたが、それでも周辺よりはかなり安かった。

手塚:いまこの状況でもビルになっているわけなんですが、それでも新しくしようというのは、なにか不都合ということなんですか?

真部:ビル自体が設備的にかなり老朽化しているんです。水道管、下水管、排水管、給水管もみんな露出配管にしてある。前はきちんと組み込まれていたんですが、壁を外したり、梁を削ったりしなくてはいけないので、それが大変という理由です。このビルは地下4階まであるのですが、以前は飲料水のタンクは地下にありました。それが地下タンクじゃいけないとなって、いまは床上にタンクを乗せました。そういう風に改装して行ってる現状なんです。

手塚:マンションの老朽化と同じですね。建物を建てたが故に身動きがとれなくなる、ということもあるんですね。特にインフラ関係はボロボロになる。そのままやっていくと時間とともにお金がどんどんかかるようになっていきます。それが大変なんですよね。このビルの地下はかなりすごいですよね。アナーキーというか。「なにこれ。立ち飲み?」みたいな店がたくさんあって。ふつうビルの地下はああいう風にならないですよね。

真部:このビルが出来た時、4階から下は飲食街、店舗階にしようと決めました。地下が飲食街のメインになる。地下の物販は本屋さんが1軒あったきりで、あとはみんな飲食店でした。当初は、小さくても20坪くらいで計算していましたが、希望者が多かったものですから、細かく切っちゃった。だから「最低10坪」という店が並んでいるんです。ご覧になったように、間口一間くらいになっています。それぞれに空調、電気配線、給排水、全部ついています。

手塚:それは大変ですね。

真部:最初はなんでもなくても、「やれ水漏れだ」なんだとなる。そこで応急的措置をするわけです。共用部分はやりますが、個人所有の部分は、個人での対応になります。5階から9階は事務所・オフィス、10、11階は住宅です。住宅というのは水道から電気など、かなり特典があるんです。新しいビルになっても、当然住宅は入ると思います。いま、実際住んでいる方は5世帯位で、多くは事務所、オフィスに貸しています。というのも、このビルは面白くて、事務所階は20時になると空調が停まっちゃうんです。だから暑いんですよ、夏は。それが、住宅階は24時間空調は動いていますから、オフィスに売っちゃうんです。

続く

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